[転職 転職サイト] 僕の「ジャパンドリーム」・・・ある外国人見聞録
シゾーカってさ:定住外国人見聞録 ハミード・谷口さん /静岡
<SIZUOKAってさ>ハミード・谷口さん
◇客との交流が宝
「ジャパンドリーム」。 浜松市で過ごした20年以上の歳月をアメリカンドリームになぞらえてそう表現する。20歳まで過ごしたパキスタンでの挫折から、あこがれの日本を目指した。今や、40席あるエスニック料理レストランを取り仕切る。日々の客とのやり取りは、そこで得た宝という。
「ジャパンドリーム」・・・。日本人が聞くとなんだか気恥ずかしいけど、彼にとっては・・・。 なんだかすごそうですね。
パキスタン・パンジャブ州の人口500人ほどの村で生まれ育った。家族は両親、祖父母、兄弟など総勢40人。学校での成績がよく、8歳で奨学生として首都イスラマバード近郊の国の士官学校(FGAS)に進学。エリートコースといえる道で、家族の期待を背負った。だが、16年で修了する士官学校の12年目で中退する。将来を約束された立場から一転、学校をやめると周囲への後ろめたさが残った。
なぜ途中でやめたのか? 期待に対するプッレシャーかい? それとも何かをしたかったのかい?
そんな時、浜松市中心部のインド料理店の経営者が料理の勉強にパキスタンに来ていた。祖父と親しく、その縁で来日、インド料理店で働き始める。母国では「メード・イン・ジャパン」の日本製品で知られた発展めざましい国での生活に夢を描いた。
だが、日本での生活はあこがれとはかけ離れていた。長時間働きづめで、店とアパートの往復で1日が終わる。来たばかりで日本語も話せないことから、店内では客に話しかけることも禁じられた。寂しさが募った。
これはよく聞く話ですね。あこがれとはとんでもなく離れていた現実に、落ち込んでしまうんだ。
「国に帰りたい」。日本で相談できる相手がいない中、よく行く百貨店の果物売り場の女性店員にそう漏らした。
女性は谷口千幸さん(71)。買い物に行くたびに声をかけてくれていた。「もっと長くいれば、いい日本人にも出会えるかもしれない。帰るのはそれからでも遅くない」。
いい人と出会えましたね。
千幸さんの言葉に転職を決意。さらに千幸さんの申し出でビザ取得を容易にするため養子になり、店もすぐに移った。国籍はパキスタンのままだが、浜松で初めて出会ったいい日本人を、今は「お母さん」と呼ぶ。
良かった。人生が動き始めましたね。
遠州弁で「ばか(とても)美人ですね」と女性をほめ、ひんしゅくをかったことがある。遠州弁だけでなく日本語表現を使いこなし、資金をためて99年に開いた自分の店では人なつっこく客に話しかける。
「大ざっぱで、深く考えずにとりあえず前に突き進む。そんな浜松の人のおおらかな人柄が自分には落ち着いた」。日本語をマスターすると、不思議と「いい日本人」との出会いが重なった。人の気質も気候も故郷パキスタンに近いと感じている。「私は日本に骨をうずめますよ」と笑った。
大ざっぱで、深く考えずにとりあえず前に突き進む・・・これって、大事なことだと思うよ。結構これが出来ずに立ち止まっている人って多いと思う。ハミード・タニグチさんを見習ってみては? この気持ちは本当に大切です。
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■人物略歴
◇ハミード・タニグチさん(42)
浜松市大工町のエスニックレストラン「カルワン」を経営。日本に来て7年目、自身が生まれた古里の村、ビジャールに小学校を建てた。現在生徒は42人。自分の恩師らがボランティアで教師となり、貧しく学校に通えない子供たちに勉強を教える。
(引用:Yahoo! ニュース)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070311-00000103-mailo-l22


